座右の銘

歩歩清風

第1体育館や各教室の正面に掲げられている言葉で、県文化賞受賞の書家・石倉守拙先生の墨痕です。
この扁額は昭和38年(1963年)1月20日、中央体育館落成記念式典において初めて披露され、「歩歩清風、これこそ日日これ修練なる諸君の学校生活の精神的基盤でなければならない。一歩あゆむごとに、自分の周囲に清い風を吹き起こすように生きいなさい。一番高いものを目指して一歩一歩進むように努力するならば、平凡は平凡なりに非凡になりうると信ずることです。」と初代校長が呼びかけました。
京都大学の湯川秀樹博士(日本初のノーベル物理学賞受賞者)が学生爾来の恩師である西田幾多郎博士(日本哲学京都学派の創始者)から授かった銘です。

この語は、京都の参禅会(1304 - 1306年)で南浦紹明禅師が語った言葉です(『大応国師語録巻下』)。唐の粛宗皇帝と南陽慧忠国師の問答(『碧巌録』第99則・粛宗十身調御)について聴講者へ問いかけ、その答えがこの言葉です。原文を通釈すると「うぬぼれや慣習にとらわれず、世俗の価値観を打ち破る覚悟を持って、人の頼らず自分の力で積極的に一歩一歩歩いていると清らかな風が吹き起こる悟りの境地にいたる。」となります。「悟りの境涯に入ると一歩一歩瞬間ごとに新しい世界が目の前に開けてきて、新鮮な感動が起きる。また、修練を積んだ挙措の美しさを指す。」と解釈されます。

校歌

作詞:小田桐 孫 一(初代校長)  
作曲:伊藤 秀俊
制定:1961年(昭和36年) 2月7日

  1. 津軽野の空はひろびろ 燦たり
    花明く 衢かがよふ
    天地のいのちを享けて
    わが希望雲と湧きたつ
    つとむべし 美し若鮎
    眉清ら 道尋めゆけば
    ああ栄光 われらを照らす
  2. 巌城嶺の道ははろばろ 厳たり
    雪皓く ひかり野に満つ
    山川のめぐみを享けて
    わが血潮いよよ高鳴る
    はげむべし 健し若鷹
    声朗ら 友呼びかへば
    ああ栄光 われらを照らす

沿革

大正7年、弘前市立弘前女子実業補習学校として始まった女子教育の流れは、その後、弘前市立女子実業学校、弘前市立弘前実科高等女学校、弘前市立弘前高等女学校、弘前市立高等女学校、弘前市立女子高等学校と学校名を変えながら発展して参りました。一方、大正11年、弘前市立弘前商業補習学校として始まった男子教育の流れは弘前市立弘前商業専修学校、弘前市立弘前商業学校、弘前市立工業学校、弘前市立商工学校、弘前市立商業学校、弘前市立弘前商業高等学校と名前を変えて発展してきました。

この二つの流れがそれぞれに培われた教育理念とその校風が一つの水流となり、昭和35年、弘前市立実業高等学校として新たに発足しました。さらに時を重ね、昭和44年、県移管となり名称が現在と同じ青森県立弘前実業高等学校となりました。

発足以来教育理念の根幹となる「生命と価値」、本校生徒の座右の銘としての「歩歩清風」の2つの言葉を常に忘れず、教職員と生徒が一体となって勉学とスポーツ、そして文化的な活動に励み、多くの著名人や優秀な人材を輩出して現在に至ります。大正7年の弘前市立弘前女子実業補習学校の発足から数え、平成30年には創立100周年を祝うとともに更なる飛躍を誓い、令和4年度104年目を迎える伝統校です。

校舎